音楽会2008
今年もタンバン村の音楽会を開催しました。それにあわせて、理事長、副理事長、支援者有志がカンボジアを訪問、音楽会を一緒に楽しみ、その後、学校を訪問しました。
2校目には理事長が訪問して校舎増築工事の様子を視察、先生方と懇談し、既存校舎の屋根の補修他を要請されました。
長岡から参加した支援者照月昭典さんの訪問記です。(照月さんはお坊さんです)
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2008年11月30日開催「村の音楽祭」に参加してきました。
我々がカンボジアに向けて出発する11月27日の成田発バンコク行きは全て欠航でした。今回は運良くホーチミン泊経由にいたしましたので、問題無く飛び立つ事ができました。ムンバイでのテロも報道されており、多少は影響があるかと思いましたが何事も無く、楽しく学校支援、援助の旅を送ることができました。
28日の夕方プノンペン空港に到着し、入国は別のゲートから簡単に入る事ができたのですが、持参したピアニカ、バレーボール他のダンボール箱は入国審査職員にストップをかけられ、内容物を確認することとなりました。前日のホーチミンでも同じような事があり、更には高額な保管料も払う事になり、余計な出費になってしまいました。
さて翌29日は山田理事長が2校目増築費用を持って朝7:30分に出発。私はいまだプノンペン市内を見物したことがないので、別行動をとらせていただきました。まず、気になっていたツールスレン収容所に行きました。思っていたよりも小さくて、ここに数年間にわたって2万人を超える人々が収容されていたのかと、あらためて驚きました。生還者は6人と聞いています。案内してくれたシンフォン氏、別にアメリカ人を案内していたガイドの女性も泣きながらの説明でした。全てが心に、記憶に残るものでしたが、屋外にあった、人を吊るしたそうですが、コの字型の大きな木の枠と、脇に白い花を咲かせていた木が特別に印象に残りました。トイレ脇の階段の壁に日本語の落書きがあったのが残念な事で、残してもよいのは(記憶と足跡)。帰り際にはなんの躊躇いもなく自然に合掌し、短いお経を唱えてまいりました。
30日はいよいよ村の音楽祭です。プノンペンの街も車が増え、渋滞です。街を抜けても車が多く、それに道が荒れておりスピードが出せません。遅れて到着してしまいました。今回近隣の(ONODAスクール)の参加もあり、11校の生徒さんによる音楽祭でした。私は別の理由で演奏を全部聞くことが出来なかったのですが、良くも悪くも故吉田さん、帰国された木野本さんの努力と影響力の大きさを感じました。1校目の校長先生と先生方の奮闘を切に祈るものです。米百俵スクールプロジェクトと、それを支えていただいている日本の支援者の変わらずの支援が必要なことを思いながら、子供たちの演奏を聞かせていただきました。ありがとう。